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2005/03/01

吉野ヶ里歴史公園は復元された弥生時代のクニだった

この前の土日にANAの超割を利用して、佐賀県の吉野ヶ里遺跡に行ってきた。吉野ヶ里は弥生時代の大規模な遺跡で、何重もの環壕に囲まれた建物跡が発掘されている。その様子は、魏志倭人伝に描かれた邪馬台国によく似ているという。

実際に行ってみると、想像以上に広かった。国立公園になっている遺跡は一部だけで、周辺はバーベキュー場など県営の公園らしいが、遺跡の部分だけでもかなりある。

中心には、それぞれが内環濠で囲まれた北内郭と南内郭。北内郭は宗教儀式や政治の場、南内郭は支配者の住居ではないかと考えられているらしい。その周辺には、庶民のムラや倉庫群、甕棺の並んだ墓地などがある。それを、ぐるっと外環濠が囲んでいたらしいが、外環濠は一部しか発掘されていないようだ。

発掘調査の後、保存のために遺跡は土で埋め戻され、その上の同じ場所に、壕や建物を復元したそうだ。復元された高床式倉庫や竪穴式住居が建ち並び、南内郭では見張り台を建設中だった。

青森県の三内丸山遺跡(縄文時代)でも、ある程度の建物を復元してあったが、それよりも規模はずっと大きい。遺跡の大きさにも驚くが、よくこれだけ復元建物を建てたなあ…。

あとで佐賀市内でタクシーに乗ったら、運転手さんが「あれは、ちょっと作りすぎですよねー」と言っていた。確かに、復元はあくまで復元なんだよね。どうしてもウソが混ざる。倉の管理事務所と考えられている建物には、大きな太鼓とのぼり旗が置いてあり、説明板には「市のときには太鼓や旗でしらせた」と書いてある。でも、「どうしてわかるんですか?」とガイドの人に聞いたら、「太鼓が発掘されたわけじゃないのですが、同時代の中国の文献にはそう書いてあるので、推測したわけです」と苦笑気味に教えてくれた。門の上に鳥の飾りがついているのも、同じく中国の風習だとか。ちょっとやりすぎかも。

monkitanaikakuでも、建物の高さなどは、柱の穴から科学的に推測できる。形は正確ではないかもしれないが、実際に建物を立ててあると、どういう大きさだったのかが、よくわかる。建物は上に上れるところが多く、上からの景色を確かめられる。竪穴式住居をのぞくと、中でたき火をしながら織物を実演している人がいて、布の織り方や材料などをいろいろ説明してくれた。すごく親しみやすいし、面白い。夏には、竪穴式住居で生活してみるというイベントもあるそうだ。

どこまでが発掘で確認されたことで、どこまでがただの推測なのかを、きちんとわかるようにしてされあれば、復元もいいのじゃないかな。遺跡はちゃんと保存してあるんだし。

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