2つのフルトヴェングラー
昨年末に、高橋さんのブログで紹介されていた(フルマラソン大会日が迫ってくるたびに聴く音楽)フルトヴェングラー指揮のベートーヴェン交響曲第5番「運命」を買って聴いてみた。うんうん。古い録音なので音質はいまひとつだが、なかなか力強い演奏だ。
特にクラシックファンというわけじゃないのに、フルトヴェングラーの「運命」と聴いて思わずCDを買ってしまったのには、理由がある。20年くらい前にフルトヴェングラー指揮の「運命」をミュージックテープで買った。自宅のベッドの上でぼんやり聴いていたら、思わず涙がにじみ出そうになった。感動的な本や映画で衝撃を受けることはあるけれど、音楽でそこまで心揺さぶられたことは、この一度きりだ。ただ、そのあと同じテープを聴いても、それほどまでに心に染み渡ることは、二度となかったのだけど…。たまたまそのとき、センチメンタルな気分だったのだろうか。
ともあれ、もう一度そのテープを聴いてみようと探したのだが、見あたらない。ひょっとしたら、実家にあるのかもしれないけれど、私のテープは、ここに紹介してある1947年の演奏ではなかった。それで、「もう一度フルトヴェングラーを聴いてみよう」という思いと、「実家にテープがあっても違う演奏」という安心感から、注文したのだ。
ちなみに、むかし、なぜそんなテープを買ってきたかというと、岩波新書の『フルトヴェングラー』を読んだから。「ラジオで聴いてよかったから」といったことは、私の場合、ほとんどない。自分は、つくづく文字情報主体の人間だと思う。
しかも、なぜそんな本を読んだかというと、当時、大学の先生の薦めで毎月3冊発行される岩波新書をすべて読んでいたからだ。クラシックに興味があって手に取ったわけではない。その先生も学生時代に師に薦められて実行したら、ものすごく幅広い知識や視野を得られたという。試しにやってみたら案外面白かったので、この岩波新書全読みを、卒業後も何年かやっていた。たぶん、5年くらいは続けたのじゃないだろうか。おかげで、社会科学、自然科学、人文科学のさまざまな領域で、さまざまな知識の入り口を知ることができた。フルトヴェングラーも、その1つだ。
さて、案の定、実家にむかしのテープはあった。さっそく聴いてみる。私がむかし感銘したのは、有名な「ジャジャジャジャーン」の部分ではなく、そのあとに続く悲しげで伸びやかなヴァイオリンの響き。うん。さすがに涙はでないけど、確かにこれだ。
私が持っているのはミュージックテープだけれど、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で同時にシューベルトの「未完成」が入っていることなどから、恐らくベートーヴェン:交響曲第5番「運命」と同じ演奏だろう。1954年のスタジオ録音だ。
さて、このテープを聴いてから、改めて年末に買った1947年のCDを聴いてみた。うーん。録音状態が悪いせいもあるのかもしれないけれど、何だかバタバタした感じがする。1954年の演奏のような弦楽器の透明感がないぞ。1947年の演奏は名演と評判だが、私には1954年のほうが、あっているのだろうか。
その日はそれで納得したが、何となく気になるので、2日ほど置いて、今度は先に1947年のほうを聴いてみた。おお、力強い。迫力があるなあ。続けて、1954年のほうを聴いてみた。あれ? なんだかのんびりしすぎて、たるいなあ。
その日の気分で違っている? それとも、聴く順番で全然違う?
それにしても、同じ指揮者で同じ曲を演奏しているのに、こんなに違いがあるとは。何だか、ほかの演奏も聴いてみたくなってきた。
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コメント
私は指揮者にはくわしくないんですが、私もベートーベンの第5が大好き。
あれほど、指揮者とか演奏者とかが変わるたびに印象のかわる曲はないと思うんですよ。
ほいで、ぜひ一度、自分で指揮してみたくなっちゃう。
私が最初にインスパイアされたのは、小さいときに父が持っていたレコード。あれ、まだ実家にあるかなぁ・・・。
投稿: 美々姉 | 2006/01/10 15:16
美々姉さん、こんにちは。
文章というのは、印刷でそれほど変わりようがないけれど、音楽っていうのは、変わるものですねえ。
江戸時代の浮世絵は、絵師がさらさらといいかげんに下書きをしたものを、腕がいい彫り師や刷り師が髪の1本1本を刻んだり、微妙に刷り方を変えて完成させたものだという話を、なぜか思い出しました。
作曲家だけでも、指揮者だけでも、絶対に音楽を完成できないというところが、何だか面白い。
投稿: meka | 2006/01/10 17:52
おお!mekaさんも、いろいろとフルトヴェングラーにはお詳しいではないですか!1954年のVPO盤は、
巨匠の最期の年の録音。失聴、視力低下(殆どベートーヴェンと同じ!)の中、演奏されたものです。
これも名演の一つ。確かに1947盤とは対照的です。
例えば、カラヤンは若い頃も晩年もスタンスは同じなのですが、フルトヴェングラーは違いますね。
あぁ、こういう話をすると冷酒片手に一晩かかるのでやめときますが(^^;。
ところで、市民オケで「3分間指揮者コーナー」という企画で聴衆に「運命」の冒頭を振ってもらったことがあります。
希望者殺到(^^;。
いやぁ、もうメチャクチャで面白かったですよ。
オーケストラを指揮する!しかも「運命」というのは万人の一つの夢かもしれませんね。
ちなみに1/25はフルトヴェングラーの誕生日です。私もです(^^;。はぁ41歳...。
投稿: 高橋 | 2006/01/10 23:55
高橋さん、こんにちは。ちょっと早いけど、お誕生日おめでとうございます。
ううむ。この2枚しか知らないのでよくわかりませんが、冷酒片手に一度語ってください。
それにしても、小学校や中学校の音楽鑑賞で、「これが『運命』です」「これが『田園』です」というのじゃなくて、「これがフルトヴェングラーの『運命』で、こっちのがカラヤンです。さあ、どっちがいいと思う?」なんてやってくれたら、もっと面白かったでしょうね。
投稿: meka | 2006/01/11 00:47
音楽への反応ではなく、また日が経ってからですみません。とても興味深いお話しなのです。
∥毎月3冊発行される岩波新書をすべて読んでいたからだ
色んなジャンルの本を読むということでしょうか。
ともすれば好きなジャンルばかり読んでしまいがちなので、参考になります。
他社からも新書版は出ていたと思いますが、岩波ならではというご指導?もあったのでしょうか?
投稿: 涼 | 2006/01/22 16:13
涼さん、こんにちは。
そうなんです。でるものをとりあえず全部買って目を通すので、興味がないことにも触れられるということですね。どうしても読めなければ目次を見るだけでもいいと言われましたが、けっこう面白い本が多かったので、私は全部読んだと思います。おかげさまで、フルトヴェングラーに岸田劉生、焼酎の歴史、イスラム教の教え、米国人の被爆者、チェルノブイリ事故のその後など、ものすごく雑多な知識が…。
岩波新書でなければいけないわけではなく、当時は一定の質が保たれていてさまざまな分野を網羅しているのが岩波くらいしかなかったということでしょうね。多少の片寄りはあるかもしれませんが、岩波ならトンデモ本はないでしょうし。毎月3冊発行されるというのも、ちょうど手頃でした。
いまはやたらに新書がでているので、むずかしそうですね。最近読んでいないけど、いまは岩波新書は、どうなっているんでしょう。
いまふと思ったんだけど、選ばずに受け入れるというのは、らでぃっしゅぼーやと似ているかも。選ぶというのも大切だけど、とりあえず総なめというのは、勉強になります。私は、そういうのが好きなのかな。
投稿: meka | 2006/01/22 21:19
お早うございます。
∥選ばずに受け入れるというのは
らでぃっしゅぼーやで届いた野菜をどう工夫して使い切るかというのも、ある意味楽しいですね。苦手なものも、(娘に分けるという選択も含めて)何とか使うようにしています。
長くなりそうなので、自分のエントリーにしてみます。
投稿: 涼 | 2006/01/23 10:11
涼さん、こんにちは。
私も、らでぃっしゅの野菜を人にあげたたことはあります。それはそれで、楽しい選択ですよね。
涼さんのブログでは、いつも興味深い本を紹介されていますよね。展開、楽しみにしています。
投稿: meka | 2006/01/23 11:40