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2006/10/28

学問の喜び

高校の履修科目が足りないのが発覚したといって、騒いでいる。いろいろ責任のなすりつけあいがあるようだが、私は、それを許した教師たちが一番問題だと思う。ただ、教師が悪くて、すべての責任があると言いたいわけではない。彼らも、受験教育の犠牲者なのだろう。

いまの先生も、そして親や他の大人たちも、子どもに「○○なんて勉強しても、実社会で役に立たないじゃないか」と言われて、言い返せない人が多いようだ。一番やり玉にあげられるのが、数学だろう。ところが、先日、ネットで「英語なんて勉強しても、自分は外国に行くつもりは役に立たないという中学生に何と答えればいいか」という英語の先生らしい人からの質問を見かけた。英語って、教科の中では、いちばん実利的に見えるけど…。

子どもがそういうことを言うのは、勉強したくないからで、当たり前のこと。でも、そう言われてグッと詰まる先生というのが、あまりにも情けない。つまり、自分が勉強してきたことが、役に立ったとか面白いとかいう実感が、ほとんどないのだろう。勉強はつまらないけど、将来条件のいい職業につくために仕方なく勉強した。受験科目だったから、勉強した。そういう勉強の仕方をしてきた人が、受験戦争に勝ち残り、教職に就く。そんな教師に教えられた子どもが、知る喜び、できる喜び、使う喜びを、どうやって理解できるというのだろう。

勉強というのは、本来面白いもので、どんな科目でも何らかの役に立っていくものだと思う。それをわかっている人に教師になって欲しい。つまらないけど受験のためには必要だとしか思っていない先生に、子どもを指導させていてはいけない。

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コメント

だからこそ、教育再生会議による必修科目カリキュラムの見直しが必要なのだと思います。

あくまで個人的な意見ですが、高等数学や理論物理や地理などを必修科目にするくらいなら、むしろお金(経済)のしくみや社会のしくみ(税金制度、社会保障制度、年金制度、最低限の法律)、対人コミュニケーション術などを必修科目として設定したほうが、大人になって社会生活していく上ではよっぽど役に立つと思うんです。

投稿: よこ | 2006/10/28 21:53

今回の話がTVで出たとき,「間違いなく,私の母校も出るな」と予想したら,やっぱり出てきました。だって,当時からそうでしたから...(^^;
高校1年のときに「公民」の教科書は持ってましたけど,授業はなく,世界史と地理におきかわっておりました。しかしながら,教科書がないので,地図帳と副教材だけで授業しておりましたけど。

明日,マラソンがんばりましょうね。(^^)/

投稿: HIRO | 2006/10/28 23:17

>よこさん
上の方でカリキュラムをいじっても、世の中の人、特に教師と親の考えが変わらなければ同じことだと思いますよ(^^;)。理論物理であろうが、税制であろうが、「試験に受かるための勉強」しか考えていない人たちは、子どもにもそうさせようとするでしょう。それに税制について習っても、サラリーマンに確定申告を義務づけない限り、「実社会で必要ない科目」と言われるでしょう。

>HIROさん
北陸の方は、受験教育厳しそうですものね。もう30年近く前の話ですが、私も同じ大学で高岡から来た友だちが、社会は受験科目の世界史しかやっていないと聞いて、「ええっ」と驚きました。私は、理系でも地理、日本史、世界史、政経倫社と一通りやりましたから。ただし、政経倫社は先生が病欠ばかりで、まともに授業を受けていませんが(^^;)。

今朝の新聞では、兵庫県は私立が1高だけだったので、うちの母校はいまのところやっていないようです。神戸は、受験一辺倒はちょっとかっこわるいという気風があるのかなあ。でも、私は大学は、思いっきり実利的な学部を選んでしまった(笑)。

初ハーフ、がんばってください。

投稿: meka | 2006/10/29 00:36

>「試験に受かるための勉強」しか考えていない人たちは、子どもにもそうさせようとするでしょう。

う~む確かに。さすがmekaさん。
まずは、学校/先生側の進学成果至上主義にメスを入れるべきかな。

投稿: よこ | 2006/10/30 21:42

よこさん、こんにちは。

社会全体の意識が変わっていって欲しいですけどね。でも、資格ブームなどを見ていても、逆方向に動いているみたい。SOHOなどで仕事を始めるためには、個人事業者向けの勉強をしたり、どうやって営業するかが重要だと思うのですが、パソコン関連の資格を取ることしか思い付かない人が多いようです。

投稿: meka | 2006/10/30 23:11

ちょっと、話題からずれるかもしれないけど...
「フリーター」って、元々は専門技能を持つ人が、会社組織に縛られず広く自身の能力で仕事をし収入を得る、っていうのが本来あるべき姿だったように思います。

ですが現実は、手に職や専門技能を持たず、定職を持たない若年低所得者層の代名詞になってしまいました。彼らがきちんとした正社員として職を得られるようにするためにも、例えば高校くらいではもっと専門資格を取得できるような教育をするべきではないかな、と思ってるんですけどね。来たる格差社会において、少しでも若年貧困層を減らすためにも...

投稿: よこ | 2006/10/31 22:31

よこさん、こんにちは。

ひょっとして、「フリーランサー」と間違えておられませんか? 「フリーター」は、確か「フリーアルバイター」の略だったのではないかと思います(^^;)。

高校や短大で専門資格を取らせるというのは、最近流行っているようですが、私はこれは大きな勘違いだと思います。どうも、「資格=専門技能」と考えている人が多いようなのですが、高校でちょっと習って取れるくらいの資格で、専門技能になるはずがありません。

学校で習うことやその間に取れる資格は、最低限の入り口に過ぎないと思います。職業能力というのは、基礎知識を身に付けた上で、仕事をしながら経験を積んで身に付けていくものだと思います。いま不安定なことよりも、経験を積んでステップアップしてけるような状況にないところが、「フリーター」の人たちにとっては、いちばんの問題なんですよ。

投稿: meka | 2006/10/31 23:48

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